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2月4日

私たちは神の子ども

Iヨハネ3:1-3

武安 宏樹 牧師

私たちキリスト者は願望や努力以前に、信じるだけで神の子です(ヨハ1:12)。肉の家族同様、子から父母の子になりたいと認知を求めることはありません。乳を飲ませ、抱き、食物を与え、歩き方を教えるのは他の動物も行いますが、社会で生きるために何が正しいか悪いかの知性を教え、処世術にとどまらず、試練を乗り越えて生きる意味を説き、自立のために二人三脚で共に歩みます。人の成長は知的&情緒的&経済的自立と、神を愛し人を愛するためにあって、人の家族は親から自立しますが、私たちは神と共に自立する特権があります。家庭環境の格差で若者の人生が左右されることを、「親ガチャ」と言いますが、人間的見方として恵まれている人とそうでない人が居ますが、共通するのは、神の前に罪人で受けるべき祝福を受けられず、自立できず、人生経験積めど、何のため生きているか分からず、他の神々や自分や有力者を頼りに生きつつ、自分を太古の昔から造られ知られ、愛して救おうとされることを見出さずに、罪を重ねて際限無く努力する空しい人生です。神の赤子として抱かれる時に、私たちは安心して力を抜いて甘えるように乳を飲み、信頼するのが大事です。

一方で神の子どもである事実を、ありのまま受け止めることに苦労します。どうしても両親から、次いで先生や先輩や友人の言葉に傷つき影響されます。違和感と不適応を感じつつ、それでもキリストにとどまることを求めます。「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」(1:3)受けるだけでも求めるだけでもない、三位一体に囲まれ両側通行の交わりで、御言葉と一つにされる臨在の中に在れば、罪を犯し続けることはありません。以上の結果は「キリストが現れたときに、キリストに似た者になること」(2節)その時100%似姿に変えられます。では現状は40%か70%か分かりませんが、赦すこと、愛すること、自制することに難儀して、砕かれ祈り求める現場で、聖霊は着実にきよめてくださいます。その御手に赤子のように裸になって、在天の神と、天地をつなぐキリストの十字架と、我が内に在す聖霊を確信し、縁組された親子関係に立って、祈りの手を上げることから全ては始まります。「御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」(ガラ5:16)御言葉は適用すると主の真実と自分の成長が分かります。

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