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3月10日

ここに愛がある~This is Love

Iヨハネ4:7-12

武安 宏樹 牧師

「ここに愛があるのです」新改訳は10節最後ですが原文は冒頭に登場します。「あった」「あるでしょう」などではなく、現にここに愛が存在して流れている、確固たる信仰が、赦されていない罪悪感と満たされぬ心と惑わしを退けます。7節語順は「愛する者たち。愛し合いましょう。互いに」と、'愛'が連続します。6節結語が「偽り」から、「偽り」「愛」キーワードでがっぷり四つ相撲を取らせ、 最後は「愛には恐れがありません」(18節)と、「愛」に軍配が上がる結果でした。私たちは「愛する者」ですが、果して愛し合っているかと言われると疑問です。愛さなくてはならないけど愛せない、自分のポリシーに照らし愛したくない、同じ屋根の下にいるだけで息苦しい。そういう人が周りに1~2人はいます。「互いに愛し合いましょう。」そう言われても愛したくない!と叫びたくなる。「愛は神から出ている」とヨハネは私たちに動機付けます。人からではない。頼りない人間の努力に根差していない。「全的堕落」私たちは愛に無能力です。愛の無いことを認めて神を見上げないことには、スタート地点に立てません。私に愛は無くても神に愛がある。愛せない者の祈りから神の愛を体験します。

「神は愛だから」(8節)の理由として、神が私たちに何をされたかが9節です。「遣わし」「示された」不定過去時制で、贖いの御業が十字架一度で完結された、「いのちを得させてくださいました」は、「~ために」と目的に取るべきです。10節は「私たち」ではなく「神」がと、愛の主体は神であると繰り返しています。隣人を愛そうとする前に、ご自分のいのちを投げ出されて罪から解放された、主の愛を静まり黙想し罪を悔い改め赦しをいただき、受けて終わりではなく、感謝して再献身を誓うところまで扱われ、以上で愛の7割は達成されます。「いのちを得させ」は罪からの救いだけでなく、救われた後の歩みも含みます。私たちは互いに愛し合う目的のために、救われて永遠のいのちを受けました。キリストを見上げることで、愛せなかった人を愛せるようになる奇跡を体験、以前はイエスマンしか愛さなかったのが、迫害者やポリシーの違う人も愛し、彼らの救いのため祈り始める。「愛し合う」「どどまり」(12節)は現在時制で、愛し合い続ける、とどまり続ける意。「全うされる」は完了時制で、9-10節の贖いの出来事が今に至る意。神の主導権のうちに私たちの愛は発揮されます。

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