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礼拝メッセージ

5月24日

変わることがありません
へブル13:7-8
武安 宏樹 牧師
キリスト教三大祭の一つで旧約聖書の五旬節ごじゅんせつ、ちょうどその時主の昇天後、一つ所に集まっていた弟子たち他の上に、生前の約束通りに聖霊が降られて、彼らは未だ教えられたことのない外国語を語り、世界中に教会を生みました。以降2000年間のキリスト教史は時に権力と対峙し、あるいは保護されながら、紆余曲折を経つつ、欧米からアジア&アフリカ&南米や、近年イスラム圏も、宣教の御霊は世界中で魂の救いと、教会の建て上げのため今でも働かれます。教会には「指導者」が立てられ、本書は11章の旧約時代の偉人たちに始まり、12章「イエスから目を離さないで」を経て13章は存命中の先達に倣うべしと。著者は真実な信仰に信頼できない彼らに、指導者の愛と聖さを思い起こさせ、励まそうとしているようです。教会も歴代の牧師に指導を受けて成長しつつ、その反面で人間的側面につまずく人や、逆に全て神の摂理の中にあると信じ、受け止め悔い改めつつさらに成長する人も。私たちの信仰生活も人を通して、受けることの方が、個人的な神との関係や聖書よりも実際は多いと思います。「自分たちの集まりをやめたりせず,むしろ励まし合いましょう。」(10:23-25)

一方でどんなに優れた「指導者」にも限界があります。尊敬していた人でも、大きな罪を犯して離れたり、傷つけられたり、転任したり、そして死にます。人間関係は主の恵みですが、裏切られ取り去られる時に信仰の真価が問われ、そこで著者は「イエス・キリストは,昨日も今日も,とこしえに変わることがありません」と。私たちへの愛が信仰の不調や罪などマイナス要因で変わらず、聖さが昔は良くても今は自堕落に変わらず、方針が左にも右にも変わらず、何よりも死ぬことが無く、生前の著書や弟子の証言のみの過去の人ではなく、天地創造のはるか前から居られて、人類の全ての歴史も痛みも共に味わって、今も最高の指導者として内なる御霊が、世の終わりまで責任持って導きます。人の心は変わります。世の動きも変わります。政治も経済も道徳も乱れます。そうしたら世の人は何に頼るのか、右往左往し迷いながら滅びに向かいます。けれども私たちはキリストの不変を、王の王&主の主として諸権力を束ねて、世界も歴史もたった一声で終わらせる。この最高権力者が私たちの見方です。指導者の教えを大切にしつつ、目線はキリストに死も恐れず見上げましょう。
5月17日
見捨てない神
へブル13:4-6
武安 宏樹 牧師
性生活(4節)&経済生活(5節)の満足から、十戒の第7&10戒を覚えつつ、著者は目に見える人や財ではなく、主ご自身に思いを向けることを勧めます。満足の根拠「見捨てない神」は、十戒前文「わたしは、あなたをエジプトの神、奴隷の家から導き出したあなたの神,主である」契約と救いの主にあります。この前文が第1~10戒の前提であり、前半1~4は人間から神への宗教規定、後半5~10は人間同士の社会規定で、特に後半を守れば世の法も抵触せずに、常識人として生活できます。この後半部は主との正しい関係があって初めて、殺人&盗み&姦淫&貪欲から守られます。多神教のエジプト&バビロン等は、発達した宗教文化を有せど倫理が低くなり、日本も絶対的な価値基準が無く、何が正しいかよりも権力者とメディアが喧伝すれば、流されてしまいます。金と偶像が支配する世で第1戒を掲げて悪魔に抗すれば、必然的に血が流れ、一粒の麦と成ります(ヨハ12:24)。第2戒「ねたむ神」は民との排他的関係です。主イエスは十戒前半を要約し「心を尽くし,いのちを尽くし,知性を尽くし」神を恐れて愛すること、ここから後半部の隣人愛が始まります(マタ22:34-40)。

十戒後半は具体的行為の戒めですが、最後の第10戒は貪り、心の中の罪で、「あらゆる罪悪の根源」(ルター)殺人&盗み&姦淫&偽りもここに端を発します。よって十戒の構造は第1が以下に影響を与え、第10の罪性が底に遡上します。悪魔の性は神の座を欲しがる貪欲で、ダビデが後半規定全てを破ったことも、イゼベルがナボテの葡萄畑を偽証し奪い殺すのも、いずれも根底は貪欲です。貪欲は世の法に抵触しない代わりに、どんな人間も克服不可能な利己主義で、つまり創造主を心から信頼しなければ、解決の道無きことを十戒は示します。以上の構造を理解することで、「主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか」(6節)が分かります。平和な時代は法の秩序に基づいて、罪の力と悪魔の活動がある程度抑制されますが、今は欲望を剥き出しにして、政&財&宗教界が襲い、良心を麻痺させ善行を非難する一方で悪事を奨励し、大量の予算が武器とメディアに流れて、与しない者を締め出そうと躍起です。私たちは十字架途上の主を思います。敵は群衆を扇動して教会を潰そうとも、主の激しい怒りと真理を求める者が殺到します。恐れつつ待ち望みましょう。
5月10日
兄弟愛ともてなし
へブル13:1-3
武安 宏樹 牧師
①「兄弟愛」(1節)
新約聖書で神の愛(アガパオー)と兄弟愛(フィレオー)が多く登場します。復活の主がペテロに語りかける場面は、神の愛で問われながら兄弟愛で返す、珍妙なやりとりですが、裏切者の分際で神の愛は畏れ多いと人間的な最善の兄弟愛を主張したのか。しかし三度目は「兄弟愛で愛すると言うのだね?」と、深い投げかけをされます(ヨハ21:15-17)。この時を想起したのか彼は書簡にて、信仰の梯子の7段目に兄弟愛、8段目に神の愛を置き、神の愛を知ることで初めて兄弟愛は発揮されると暗示します。兄弟愛は神の愛同様に受けただけ、人に与えられます。弱者や罪人に主がどう関わられたか黙想し考えましょう。

②「もてなし」(2節)
「古代社会では旅人に対する親切が尊ばれていた。接待は信者間では重要で、帰る家が無い奴隷,巡回する説教者,助ける人なく苦しい生活をしている信者もいたに相違ない。キリスト教は今も昔も温かく迎える宗教である」(バークレー) 食事や宿泊までいかなくても、広い意味で場所や時間や心を与えることの他,旅人は外国人も意味するので、教会に外国の方が少なからずいるのは大事で、様々な困難を経験しておられます。主は人種や国籍や宗教を超えた全地の主、十字架の救いは隣の重罪人さえ招かれています。私たちは人間的な愛よりも、神の性質にもてなしの根拠を置いて、受けた恵みを返す思いで献げましょう。

③「思いやり」(3節)
信仰以前に世の美徳のようですが、当方も危険を伴うものです(10:32-34)。この語はザカリヤの賛美(ルカ1:72)やコルネリウスの証し(使10:31)に登場し、神が人を思い続ける強さに用いられます。「自分も牢にいる気持ちで」直訳は、「己も共に繋がるるごとく」(文語)が近い。思いやりは兄弟愛の結果であり、主にあって共に縛られること。思いやる側もさることながら獄中に在る者も、当然期待すべきです。戦前の先達は人間的な配慮が先行して貫けなかったか。されどキリスト者は御体にあって一心同体です。暗い時代が近づいています。私たちの神の愛と兄弟愛が試されて、主イエスと使徒を模範に戦いましょう。
5月3日
神に喜ばれる礼拝を
へブル12:25-29
武安 宏樹 牧師
終末の恐るべき光景を「揺り動かされるもの」「揺り動かされないもの」対比しつつ「私たちは感謝しよう、神に喜ばれる礼拝をささげよう」勧めています。週ごとの礼拝と日ごとの主との交わりを、どのような思いで捧げていますか。ハガイは神殿再建の彼方に救い主を、本書は主の再臨から審き主を示します。

①揺り動かされるもの
本日は80年前に制定された憲法記念日。戦前の国のため人がある国家観を、戦後憲法は人のために国がある民主的かつ進歩的な法体系で、平和を構築し、世界の信頼を得てきました。思想と信条の自由の保障は伝道と教会形成にも、教勢の著しい発展には遠くとも、落ち着いた歩みをなすことができましたが、急速に人を統制し利益のために戦争も辞さない、国家形成に向かっています。以上の危機意識を通して、私たちの礼拝は真剣さを帯びることになります。イエスは主なり、侵略戦争は犯罪、近隣諸国と友好と、従来当り前のことが、SNS界隈で偏見や攻撃に晒されかねず、日本は1.2億人のムラ社会ゆえ、世の同調圧力と戦うのは並大抵ではなく、時代にどう向き合うかで30年後のリバイバルが決まります。主が語られた'小黙示録'に教えられます(マコ13:)。「前もって心配するのはやめなさい。話すのはあなたがたではなく,聖霊です」

②揺り動かされないもの
主が再臨され新天新地と成る暁に、リフォームされた教会の建物は除かれ、されど礼拝者の私たちは「揺り動かされない御国を受ける」民として天上で、永遠に主と共に存続(13:8)。「しかし,主のことばは永遠に立つ」(Ⅰペテ1:25)変わらぬもの、朽ちぬものを所有し信じる私たちは、何と幸いな民でしょう。政治&経済&平和の変移を不安に感じ、右往左往し虚無に陥るのが世の人で、怒りと嘲りと諦めが満ちて、その反動で人はますます頑なに偶像に頼ります。しかし私たちは逆で、変わらないものを有すから日々変わることができます。天の御国も火の審判も死後まで待たずして、聖霊の働きで体験するものです。 皆さんは日々変えられていますか。外なる人は衰えど、内なる人は日々更新。「天地は過ぎゆかん。されど我が言(ことば)は過ぎ逝(ゆ)くことなし。」(マコ13:31文語訳)