0564-21-6458

トップ > 礼拝メッセージ

礼拝メッセージ

7月12日

ねたみの神
出エジプト20:4-6
武安 宏樹 牧師
第2戒「あなたは自分のために偶像を造って~拝んで~仕えてはならない」神は見えない霊なる方なので、何らかの形で現すのは無限の神を人間と同じ有限に引き下ろす罪です。以上の動詞3つ態が異なり「造って」は基本形で、私たちが主体ですが、「拝んで」は再帰形で私と偶像が協同して拝ませる印象、「仕えて」は使役受動形で直訳「仕えさせられて」、偶像に支配される印象です。いわゆる宗教行為以外にも、私たちは幼時の親の言葉や青年期の憧れの人や、人生の夢や金&偏差値&業績などの数字や、劣等感&競争心&許せない心や、医者の診断など心の中は偶像だらけで、キリスト以外に救い様ありませんが、「あなたの神,主であるわたしは,ねたみの神」この「ねたみ」は「熱心」「激しさ」とも訳されます。人間的なねたみは契約関係にある夫婦なら浮気相手だとか、罪に対して憎しみに基づく不満があるので、双方とも後ろめたいものであり、「愛は~人をねたみません。」(Ⅰコリ13:4)「肉のわざは~ねたみ」(ガラ5:19-21)パウロも断罪しますが、神も諸感情の中に「その炎は火の炎,すさまじい炎」(雅8:6)愛の激しさと義しさから罪をあぶり出す聖なるねたみをお持ちです。

私たちは神と一対一の関係で、偶像の存在を棚に上げ聖く歩もうとします。されど神が偶像に怒りを表す激しさは、ねたみと恵みに満ちた愛の証印です。取り去られたりうまくいかなくなる時は、そろそろわたしの御言葉で立てと、御霊に促されています。私たちは梯子を上るように実を得たいと願いますが、主イエスは最初こそ喝采を受けるも、徐々に人々が離れ弟子たちまで裏切り、最後ひとりで父と向き合い死なれました。偶像皆無で従順が完全だからです。死なば父が復活させてくださると信じたからです。偶像を持っていませんか。どこから墜ちたか思い起こし、痛みを伴って断ち切られる覚悟をしましょう。偶像に人を生かす何の力も無く、お札お守りは自分の願いを込めるものです。自分の好むように生きる人生は空しい。しかしキリスト者の人生は違います。「人のおもな目的は,神の栄光を顕わし,永遠に神を喜ぶこと」(WM小教理問1)神が私たちを造られ、神礼拝を喜ぶ民として、神と人に仕え栄光を顕すため、換言すれば偶像など頼らなくてよいように、能動的で熱い思いをお持ちです。主のねたむ愛が押印され、偶像の結集たる大バビロンに立ち向かいましょう。
7月5日
奴隷の家から
出エジプト20:2-3
武安 宏樹 牧師
主が十字架上で死の瞬間に至聖所の幕が裂かれ、本来あるべき契約の箱は、捕囚時に失われ第二神殿に存在せず、伝説と化しました(マタ27:51/黙11:19)。裏を返せば十戒を記した二枚の板は、聖霊を通してキリスト者に内住します。2節は前文「第0戒」。続く1~10の前提として先ず救われた民であると確認、神と契約を結ばれて愛と義の御手を以て、導かれ救われた民としての掟です。食糧難からエジプトに逃れた民は繁殖力が強く、王は強制労働で苦しめます。併せて男児皆殺しを発令する横暴も、死の手をくぐり神を恐れる女の信仰で、モーセは誕生します(1-2:)。王はイスラエルに国を乗っ取られることを恐れ、金と権力と人が離れたら没落するため、つなぎとめるため無謀な抵抗を行い、なおも主なる神に敵対するのは恐れゆえで、イスラエルが奴隷の立場ですが、実際は王自身が恐れの奴隷でした。奴隷の家は恐れの家で罪から来るもので、アダムの偽り、カインの開き直り、サウルの焦り、アナニア夫妻の欺きなど、悪魔に隷属する姿です。聖なる神と偽りの神どちらに支えられていますか?キリスト者は恐れて逃げ回る民でなく、信仰から喜んで十戒を行う民です。

「第1戒で主は何を求めておられますか?」「わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために,あらゆる偶像礼拝・魔術・迷信的な教え・諸聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと。唯一のまことの神を正しく知り,この方にのみ信頼し,謙遜と忍耐の限りを尽して,この方にのみすべてのよきものを期待し,真心からこの方を愛し,畏れ敬うことです。」(ハイデルベルク問94)
皆さんは主とまっすぐ向かい合っていますか。自分の目と肉の恐れの声に、簡単に屈していませんか。思いの激流に呑まれては、他の神々の思う壺です。私たちは主の民をエジプトの奴隷から解放された方を見上げ、変えられます。愛と力の主を見上げないと偶像を拝む弱い者です。先ず神を見上げましょう。神以外に心を奪われ自分を見失っていた罪を悔い改め、方向転換しましょう。我が国を見渡して、神を正しくあがめ律法を喜ぶ人種は何と稀少でしょうか。神に背を向けて神の掟を唾棄し、恐れに縛られ滅びに向かう者が多いのです。皆さんは1%未満の日本のキリスト者として、奴隷の家から救われました。高価で尊い存在です。終わりの時代に全能の神を見上げてまいりましょう。
6月28日
平和の神
へブル13:20-25
武安 宏樹 牧師
仮会堂最終礼拝に首尾良く本書最終回。祝祷に用いられる美しい箇所です。主語&主動詞のみで「平和の神が,あなたがたを整えてくださいますように。」 この二語を中心に学びます。「平和の神」(ロマ15:33/同16:20/Ⅰテサ5:23)以上は、信者と共に歩む臨在の神、信者の足で悪魔を砕く神、信者に聖化を遂げる神、罪と世と悪魔の権力で人を虚無に陥れる死の力に勝利し平和を実現する神。平和とは何もしないことではなく、極めて動的な平和の神の実体があります。本書は福音書のようには、主イエスの御言葉や足跡が記されてはいませんが、どこを切ってもキリストが見えます。教会の主は特定の聖職者でも信徒でも、皇帝礼拝を強要する国家権力でもなく、「永遠の契約の血による羊の大牧者」。一つ目に私たちの霊性について、パウロは迫害と困難の中で平和を経験して、主ご自身が後継の人々に遺すために、拓かれた平和を証します(エペ2:14-16)。キリストの平和は私たちの内に在り、まずは個人的にキリストにあこがれて、対立した人々の間に入って働きかけ、表立って希望が見えずとも尽力します。ところが今の世の中は平和を潰し、あらゆる方法で世界の戦争に協力します。

何故に戦争を欲するのか。政財界は癒着しメディアは真実を語らず追従し、水面下でカルト宗教が糸を引く危機的状況に、若者が襲い来る死と闇の力に恐れて声を上げ始めています。60年前の全共闘世代は論争と内ゲバに終始し、日本人はサムライ気質ゆえか、動機が有耶無耶で自己目的化しがちですが、キリスト者は神の平和と神の言なる聖書が、絶対的平和を信じる拠り所です。小さなダビデが石投げ一つで巨人を打ち倒した話を、私たちは知っています。これからどんな時代が来ようとも、信仰によって受けて立つことが出来ます。三位一体の神は信者に内在、外には御使いの軍勢を配置、言葉と態度全てに、備えてくださいます。「整え」旧い訳は「完全にする」口語訳は「備える」他には、「正す」「回復する」「造る」「補う」「繕う」「訓練を受ける」「一致する」と訳され、以上全ては世の人が求めるものです。私たちは一人で戦うのではありません。主が与えられた力に応じて、御言葉によって見えない敵と戦えばよいのです。「大牧者」は本書唯一。詩23篇は最高の羊飼いが「死の陰の谷」に信者を導いて、臨在に目を開かれます。闇の時代は真の平和を知る者の出番と備えましょう。
6月21日
服従と祈り
へブル13:17-19
武安 宏樹 牧師
①指導者たちに聞き従うこと(17節)
テモテは「若いからといって,だれにも軽く見られないように。むしろ信者の模範となりなさい」(Ⅰテモ4:12)と命じられました。当教会に大きな減退が無かったのは、教職&信徒間に信頼関係があったからでしょう。サウル王の不従順&越権行為に預言者サムエルは偶像礼拝&高慢と断じます(Ⅰサム15:)。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き,また服従しなさい」命令二つは、意味が重なります。「服従」は新約ここだけで、「従う」「権威の下」合成語です。この権威をどう認めるかが重要です。最初の人は不信ゆえ御言葉の権威から逸脱&違反しました(創3:)。罪が世に入ったことで死の力が蔓延しています。教会も信頼関係に基づく従順を損なうと,敵の惑わしに侵入の隙を与えます。ゆえに指導者の責任重大(ヤコ3:1)。教師が謙遜でないと信徒を攻撃に晒し、教会が混乱します。好き嫌い以前に神に立てられ神に責められる立場として、指導者に聞き従いつつ、教団の合議制精神で語り合っていただきたいのです。パウロは言います。「キリストを恐れて,互いに従い合いなさい。」(エペ5-6:)

②指導者たちのため祈ること(18~19節)
「指導者と信徒は祈り祈られる素晴しい愛と信頼の関係で、牧師が霊的権威を振りかざしたり、信徒が不平不満や呟きを口にするのでは、教会は健康な状態とはいえません。祈りの中で相手の欠けを神が補ってくださるよう願うなら、神が問題を解決してくださいます。『正しい良心&正しい行動』の指導者に霊的権威は与えられ、信徒はよく聞き、従い、祈り、うるわしい関係が成立し、祈りによって私たちの心は一つに結ばれます。教会で祈り合うことは大切で、教会が昔から祈祷会を重視してきたのはそのためです。」(尾山令仁)祈祷会に出席することで、日曜礼拝だけでは見えない聖霊のダイナミズムが解ります。どう祈られているか判りませんが、牧師が倒れないのは背後の祈りでしょう。新会堂に合わせて「ご意見箱」活用しつつ、不平不満あればお祈りください。祈りっぱなしでなく答えがどうなったか、そこまで至らずとも動きがあるか、医師同様に経過観察しましょう。「早く戻れるように、なおいっそう祈って」正しい行動ゆえ捕われたら、主を賛美しつつ「なおいっそう」御加祷ください。