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4月14日

御霊と水と血

Iヨハネ5:6-8

武安 宏樹 牧師

① 水について
主イエスは、ヨハネが主の民に悔い改めを迫り応答する人々の列に混じり、洗礼を求めます。告白すべき罪も無い救い主に授ければ罪有りとしてしまう。彼はうろたえるも「このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです」(マタ3:15)神の義に折れたヨハネは授けました。父の御心を子が行い聖霊が降る。三位一体の御名で洗礼を受くべき根拠です。創造以前の闇の大水に、ノア家以外沈んだ洪水に、敵軍が殲滅(せんめつ)する葦の海に、キリストは沈まれ私たちも共に沈んだ後に、起き上がり新しいいのちを頂く。そこに降られる聖霊が水だけでなく、炎で練りきよめ愛の人に造り上げます。

② 血について
「水によるだけでなく、水と血によって」強調するところに意図があります。反キリスト者たちが主イエスの受洗は認めても、人として血を流した死を、認めないからです。「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています」(ヘブ9-10:)契約の血&過越の血&赦しの完成の血&きよめの血&聖所に入るしるしの血。最高の血が信者のうちに流れています。C型の血が流れ込み愛の人となり、罪と世と悪魔と戦い勝利する人種となり、私たちから循環して、世に和解をもたらすことを覚えましょう(レビ17:11)。

③ 御霊について
「御霊と水と血」(8節)と順番が替わって、機能的に聖霊の主導権を表します。救いを導いて水の中に沈めるのも、体内に血を循環させ世に愛をもたらして、最期は使徒の如く殉教の血を流させるのも、全て執行者は聖霊ということで、キリストの肢体を構成する教会で、水と血を巡らせ建て上げるのは聖霊です。「この聖霊がわれらの心に水と血の証しを封印し堅固ならしめて~私たちの罪の贖いのために流された血が、私たちの魂の中に染み通ってくる」(カルヴァン)主イエスが受けた洗礼も流された血潮も、地上で信者と共有するものですが、聖霊だけは天から降ります。同じ霊を共有して異なる賜物が与えられている。結果的に私たちに流れるキリストの血は、他の誰とも違うオンリーワンです。

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