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礼拝メッセージ

11月1日

あなたがたの歩みをよく考えよ
ハガイ1:1-15
武安 宏樹 牧師
サマリア人からのいやらしい妨害工作で、神殿建築は16年中断しました。基礎完成時は喜びの声を挙げた若者たちも、自分の生活に関心が向かったり、王の勅令で始まったのに保護が乏しかったり、みんな疲れていたのでしょう。指導者ゼルバベル&ヨシュアも、難局を乗り越えて旗を振る力量が無かった。そこへ目に見える状況で神に失望している民に、預言者が猛省を促しました。「あなたがたの歩み(ex.現状)をよく考えよ」と。直訳「心を留めよ」(共同訳)。単刀直入に言えば停滞の要因は、敵の妨害などでなく彼らの不従順であると。試練が続き「時はまだ来ていない」と諦め、自分の経済生活の方に逃げている、霊的&生活的に煮え切らない日々を送る。皆さんもそんな経験ありませんか。契約の民でありながら神の前に背を向けたり斜に構えると、力が湧きません。「穴の開いた袋に入れるだけ」敗因は恵みを垂れ流し受け止めなかったから。神が与えられた「道」に座標軸を据えなかったからです。8節は命令の中心。まず立ち上がりなさい、使命に向かって足を踏み出し、建築に動き出せと。「まず神の国と神の義を求めなさい。」(マタ6:33)主イエスの御言葉を思います。

すべきことをしていないから祝福されない。見方によっては因果応報論に陥る危険もありますが、神はヨブの三友人を最終章で断罪します(ヨブ42:7)。座り込んで山に登らないから駄目という以前に、御言葉が語られたことは、分かち難い愛の関係が在る。敵が多く貧しく時間と労力を割くのは困難でも、主権は人の側でなく、神が民を通して「栄光を現す」べく全て備えておられる。だから「あなたがたの歩みをよく考えよ」「省察(かんがう)べし」(文語訳)関係性を問うて心が離れていないか?閉じていないか?敵ばかりだと憤ってはいないか?と神は預言者を送って、大声で民の疲弊した心に対して楔を打ち込むのです。サボっているのは努力不足などと言って、放(ほか)っておくことはされない方です。捕囚前と異なり、彼らは素直に受け入れ悔い改める即効的な反応を示します。罪を犯すと人は的外れな行動に、責任転嫁や無気力や別の奉仕で穴埋めをし、悔い改めると的外れ&背き&歪みから解放されて、神と焦点が合うのです。「わたしは、あなたがたとともにいる」失われていた情熱は再び注がれ再始動。総督&祭司&預言者が共に主を見上げ、民が従う最高の秩序が見られます。
10月25日
敵の妨害
エズラ4:1-24
武安 宏樹 牧師
神の御心に従って奉仕するのだから、順風満帆に事が進めばと思います。奇跡的な帰還命令と喜びの定礎式までは、ほどなく神殿完成と思いましたが、好事魔多し、結果的には敵(サマリア人)の妨害が入って、16年も中断します。本章は時系列が入り組んで1~5,24節が建築初期、6~23節は完成後の、いわば妨害列伝です。北10部族が連行され他民族と混合したサマリア人は、エルサレムに対抗してゲリジム山に神殿を建てたり、五書のみ正典としたり、シリアに攻撃されたら融和策で偶像を安置したり、南2部族とは疎遠でした。そんなサマリア人が「私たちも、あなたがたと一緒に建てたい」(2節)と殊勝な申し出をしますが、神礼拝より「あなたがた」を連呼する不自然さが残ります。一緒に建てれば財源も人力も増しますが、入り込んで内側から攪乱するのか、権利の主張か不純な動機が透けて見え、「私たちだけで」(3節)と拒否します。皆さんは一見好ましく思える申し出を、勇気を持って断ることができますか。度量が狭いと思われて関係が悪くなるより、受け入れる方が寛容に見えます。大事なのは動機です。不純な人は自分の利益のため純粋さを装おうとします。

お金がかかるとか工期が延びるだけでなく、いやがらせや賠償を求められ、家族に危害、会社に損害を受けるとしたら、それでもNoと言えるでしょうか。まさにデマや中傷による精神的脅迫が続きます。肉声&文書&メディア等で、ダメージ蓄積されると、次第に抵抗力が低下し敵の発言を受け入れてしまう。さらに贈賄行為、要人の寝返り、懐柔工作かロビー活動か王まで取り込まれ、着工~中断~再着工に至るまで攻撃は長期に亘ります。11~16節の書状では、一見すると王への尊敬ゆえ、国を守る公義と記録文書の事実に基づきながら、主観的な推測に過ぎない事柄やこじつけを、さもありなん因果関係に結んで、アルタシャスタ王まで損失と権威低下を憂慮させて、まんまと籠絡されます。政治&経済&メディア&教育&宗教が世に浸透し、恐怖と敵対心と一体感で、包囲網を作ります。教えられる一つ目は今日の我が国も酷似した状況にあり、「非国民」で選別される同調圧力が厄介で、信仰に立って祈るしかありません。二つ目に命令が条件付きに御手を見ます。三つ目に預言者ハガイのように、私たちが挫けそうな時に、地上で御言葉を大声で叫ぶ者が備えられています。
10月18日
神を慕う人
詩篇84:1-12
渡邉 賢治 師
神への祈り。神に向かわせてくれる。
「なんと幸いなことでしょう」(4,5,12節)

①神を慕う(1~4節)
「なんと慕わしいことでしょう」「主の大庭を慕う」
1)神殿:「神のお住まい」を慕う
2)神を慕う:「生ける主に喜び歌う」
「神を恋い慕う」(42:1-2)
「私の最も喜びとする神」(43:4)

3)神を礼拝する(3,4節) うらやむ~鳥、人々
家で:礼拝や賛美祈りは時々難しい(騒がしい)
教会で:神の前に静まり賛美と祈り

②神を思う(5~7節)
「なんと幸い・・・その力があなたにあり、その心の中にシオンへの大路の ある人は」
1)神の力への信頼:「力があなたにあり」
2)神を思う:「心の中に大路」~神への思い。求め。
~神を心の中でいつも思う。
例:朝起きると、食事の時、生活の中で、電車や車
3)その祝福は(6-7節)
「泉のわく所」苦難と涙は喜びへ
「初めの雨」荒地を潤す ~力から力へ

③神への信頼(8~12節)
「なんと幸い・・・あなたに信頼するその人は。」~祈りと信頼の表明
1)神への祈り(8,9節)「神よ。聞いて」~いつでも神に信頼して祈る
2)神への信頼(11,12節)「神なる主は太陽。主は恵みと栄光を授け」

結び:①神を慕う ②神への思い ③神への信頼
10月11日
礎が据えられて
エズラ3:1-13
武安 宏樹 牧師
第二神殿建築に着手する「起工式」「定礎式」。教団新式文にも会堂建築で、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」(詩127:1)など、牧師が朗読しつつ祈りをささげます。神主が行う地(じ)鎮(ちん)祭(さい)と混同しそうですが、神道は国土の守護神&地域の神&土地の神々、各々守備範囲があるようです。人間の都合で神々を使い分け、国家神道は戦犯も祀(まつ)るなど好加減な宗教です。主なる神に王の勅令を通して奮い立った民は、お祓いで神を鎮めるのでなく、先祖の犯した罪を悔い改め、故郷に戻る前に先ずはエルサレムに参集します。「主の宮に着いた」とはいえソロモン神殿は破壊され50年、廃墟に過ぎません。それでも彼らに他の選択肢は無く「元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした」現代に換算して3億円は下らぬ、再建への熱意と礼拝への飢え渇きを見ます。帰還しても貧しくて生活できるか不安でも、まず宮集合。神中心の礼拝熱心には主体性と喜びがあります。ソロモン神殿の献堂では、「捕囚の地で、この宮の方に向かって祈るなら」(Ⅱ歴6:)後を見越した祈りに、もう一度主のもとに帰りゼロから再出発を願う、最高の霊性があったのです。

「第7の月が来たとき、民は一斉にエルサレムに集まって来た」第7の月はラッパが吹き鳴らされる日、贖罪の日、そして三大祭の一つの仮庵の祭など、何も無い青空の下「出バビロン」にふさわしく、律法の一つ一つを忠実に行い、「一斉に(一人の人のように)」はキリストの肢体につながる初代教会の様で、麗しい姿です。「書かれているとおりに」「所定の場所に」霊的秩序があります。御言葉の記述に集中した結果、御心に適った礼拝を捧げている確信と平安が、礼拝者を一つにして引き上げ、民は貧しいのに「進んで」「喜んで」献げました。これが施工前に事実上は神殿の礎で、新約では主の体につながる教会人です。そして霊性だけでなく、職人や資材も惜しまず金をかけるのが神殿建築です。400年の時を超えて同じ場所で、ソロモン神殿とはスケールが違いますが、たしかに大きさ豪華さと主の臨在は前者が優るゆえ、老人は泣きましたが、比較すると、前者はトップダウンの、後者はボトムアップの教会と見えます。興味深いのはソロモン神殿は360年間に対し、第二神殿は480年間続きました。皆でスクラムを組み厳しい中間時代を経て、キリストへ襷をつないだのです。