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6月26日

憎まれ迫害され

ヨハネ15:18-21
武安 宏樹 牧師

本章ここまで「ぶどうの木」「互いに愛し合う」「友」など、主と弟子たちとのタテ&ヨコの愛の関係について解説も、「選び」(16節)については未だでした。救い&献身に適用できますが、信じて愛にあふれたバラ色の人生かと言えば、なかなかそうはいかず、かえってうまくいかず信仰から離れる人々もいます。それでも私たちが今に至るまで、キリストと教会につながり続けているのは、努力や意志の強さ以前に、内なる主との関係に選びと愛を体験するからです。主の愛に包まれて初めて試練にも立ち向かえる。主イエスが先達だからです。選びの理由について、どういう実が結ばれているか、その中身が語られます。本書の執筆された紀元90年頃は、既にローマ帝国の迫害が始まっていました。「人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。」(ルカ6:22)とある通り、主の御名のゆえに不利益を受けるも、「その日には喜び躍れ」と励まされます。かくて文脈を捉えるなら、私たちは宣教の実だけでなく迫害の実を結びます。主イエスと弟子たちのように、憎まれ迫害されるフィルターを通らされます。

現憲法下で基本的人権も信教の自由も保障され、迫害は滅多にありません。家庭によっては苛酷な事例はあります。わが国の先達は秀吉の禁教令以降、江戸幕府に至って、政治的障害物と見做され迫害され多くの血が流れました。その恐怖感もあってか、第二次大戦中の指導者は日本基督教団への一本化と、幹部の神社参拝、礼拝での君が代斉唱や宮城遥拝など率先して世に迎合させ、我が国の教会を迫害から守ろうとしました。来月の参院選の結果次第では、改憲を目指す国民投票と、その暁に全体主義&戦争協力の足音が聞こえます。私たちは迫害のために選ばれたとの視点から捉えれば、理解が変わります。平和な時代に言葉に行いに証しが振るわずとも、迫害の時代は生き様だけで、「一粒の麦、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。」(12:24)を地で行けるのです。「当時、父は一介の不名誉な恥ずべき囚人として、不名誉に世を去った不幸な人生の失敗者に見えました。でも韓国教会史においては、正統な信仰を後世に橋渡しできたのです。半世紀を経た今日、百倍、千倍、1万倍の豊かな実を、韓国教会に収穫させてくれているのだと信じています」(朱光朝長老証言集)

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