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礼拝メッセージ
10月18日
神を慕う人
詩篇84:1-12
渡邉 賢治 師
神への祈り。神に向かわせてくれる。渡邉 賢治 師
「なんと幸いなことでしょう」(4,5,12節)
①神を慕う(1~4節)
「なんと慕わしいことでしょう」「主の大庭を慕う」
1)神殿:「神のお住まい」を慕う
2)神を慕う:「生ける主に喜び歌う」
「神を恋い慕う」(42:1-2)
「私の最も喜びとする神」(43:4)
3)神を礼拝する(3,4節) うらやむ~鳥、人々
家で:礼拝や賛美祈りは時々難しい(騒がしい)
教会で:神の前に静まり賛美と祈り
②神を思う(5~7節)
「なんと幸い・・・その力があなたにあり、その心の中にシオンへの大路の ある人は」
1)神の力への信頼:「力があなたにあり」
2)神を思う:「心の中に大路」~神への思い。求め。
~神を心の中でいつも思う。
例:朝起きると、食事の時、生活の中で、電車や車
3)その祝福は(6-7節)
「泉のわく所」苦難と涙は喜びへ
「初めの雨」荒地を潤す ~力から力へ
③神への信頼(8~12節)
「なんと幸い・・・あなたに信頼するその人は。」~祈りと信頼の表明
1)神への祈り(8,9節)「神よ。聞いて」~いつでも神に信頼して祈る
2)神への信頼(11,12節)「神なる主は太陽。主は恵みと栄光を授け」
結び:①神を慕う ②神への思い ③神への信頼
10月11日
礎が据えられて
エズラ3:1-13
武安 宏樹 牧師
第二神殿建築に着手する「起工式」「定礎式」。教団新式文にも会堂建築で、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」(詩127:1)など、牧師が朗読しつつ祈りをささげます。神主が行う地(じ)鎮(ちん)祭(さい)と混同しそうですが、神道は国土の守護神&地域の神&土地の神々、各々守備範囲があるようです。人間の都合で神々を使い分け、国家神道は戦犯も祀(まつ)るなど好加減な宗教です。主なる神に王の勅令を通して奮い立った民は、お祓いで神を鎮めるのでなく、先祖の犯した罪を悔い改め、故郷に戻る前に先ずはエルサレムに参集します。「主の宮に着いた」とはいえソロモン神殿は破壊され50年、廃墟に過ぎません。それでも彼らに他の選択肢は無く「元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした」現代に換算して3億円は下らぬ、再建への熱意と礼拝への飢え渇きを見ます。帰還しても貧しくて生活できるか不安でも、まず宮集合。神中心の礼拝熱心には主体性と喜びがあります。ソロモン神殿の献堂では、「捕囚の地で、この宮の方に向かって祈るなら」(Ⅱ歴6:)後を見越した祈りに、もう一度主のもとに帰りゼロから再出発を願う、最高の霊性があったのです。武安 宏樹 牧師
「第7の月が来たとき、民は一斉にエルサレムに集まって来た」第7の月はラッパが吹き鳴らされる日、贖罪の日、そして三大祭の一つの仮庵の祭など、何も無い青空の下「出バビロン」にふさわしく、律法の一つ一つを忠実に行い、「一斉に(一人の人のように)」はキリストの肢体につながる初代教会の様で、麗しい姿です。「書かれているとおりに」「所定の場所に」霊的秩序があります。御言葉の記述に集中した結果、御心に適った礼拝を捧げている確信と平安が、礼拝者を一つにして引き上げ、民は貧しいのに「進んで」「喜んで」献げました。これが施工前に事実上は神殿の礎で、新約では主の体につながる教会人です。そして霊性だけでなく、職人や資材も惜しまず金をかけるのが神殿建築です。400年の時を超えて同じ場所で、ソロモン神殿とはスケールが違いますが、たしかに大きさ豪華さと主の臨在は前者が優るゆえ、老人は泣きましたが、比較すると、前者はトップダウンの、後者はボトムアップの教会と見えます。興味深いのはソロモン神殿は360年間に対し、第二神殿は480年間続きました。皆でスクラムを組み厳しい中間時代を経て、キリストへ襷をつないだのです。
10月4日
捕囚からの解放
エズラ1:1-11
武安 宏樹 牧師
本書は馴染みが薄いかも知れませんが、新改訳では旧約の真ん中あたりに、ヘブル語聖書では歴代誌が最後で、その直前にエズラ&ネヘミヤで一書です。ソロモン治世で最高潮に達したイスラエル王国は、彼の信仰的凋落に始まり、息子の代で北イスラエルと南ユダに分裂。北は急速な堕落から先に滅ぼされ、南は信仰的な王(アサ&ヨシャパテ&ヒゼキヤ&ヨシヤ)で、時折回復するも、ヨシヤ戦死で事実上南王国も終わり、以降20年は傀儡政権で捕囚となります。歴代誌第二の最後は捕囚後の帰還で幕を閉じ、本書最初の記述と重複します。落日の王国へエレミヤは迫害を受けながら捕囚を預言し、それだけでなく、当地で平穏な生活の後に帰還する希望を語ります(エレ25:11-13/29:10-14)。分裂した王国は絶えず周辺国との関係に振り回され、アッシリア→バビロン→ペルシアと入れ替わりながら、そのペルシアが占領した国々の宗教文化を尊重する寛容政策ゆえに、帰還命令の恩恵に与った政治的背景もありました。支持を得るためでしたが、帰還者に神殿再建を励まし残留組にも支援せよと。そこで宗教者エズラと総督ネヘミヤは、貧しい民の信仰復興に尽力します。武安 宏樹 牧師
いくらエレミヤが叫んでも捕囚転落から目を背け、エジプト逃亡を盲信し、結果的に多くの民が死に絶え諸国の物笑いとなった。主の御言葉を軽んじた不従順に対する厳然たる報いです。たしかに主はネブカドネツァルを用いて、バビロンを民をさばく道具としましたが、だからと言って砕かれた主の民を、いつまでも彼の下に置いていません(ダニ4:30-31)。バビロンを最大の都市に、世界中の金と人を動かして自分の記念碑を建てる(=バベルの塔)彼の夢は、死後たった23年でペルシアに滅ぼされて終焉。天に向かって塔を高くしても、権力者も国家もやがて散り、主なる神だけが歴史を御手で動かす全能者です。「霊を奮い立たせ」は他の箇所でもアッシリアやメディアなど異邦人を介して主が御手を動かすことを表しています。私たちは異教社会で教会に集められ、信仰生活を守っています。聖霊は教会と信者を中心に磁場をもたらしますが、それだけでなく世の政治や経済の変遷を通して、安定or不安定にかかわらず、世界的に御手は動かされます。とはいえ「霊を奮い立たせ」二度目は主の民に。いくら異邦の王にお膳立てされても、主の民が立たなければ宮は出来ません。
9月27日
パンが裂かれたときに
ルカ24:13-35
河崎 ダニエル 宣教師
今日の聖書の箇所はイエス様が十字架で死んだのち、三日間、墓に埋葬されてから起こる出来事です。エマオに向かう二人の弟子たちが復活したイエス様に会った時、イエス様に起こったすべてのことや、女性たちから聞いたことを理解しようとしていました。イエス様が、彼らの会話に入ってこられたのはこの時です。イエス様の死と復活を踏まえて旧約聖書を読み返すと、苦しみと栄光への入り口というテーマが聖書の話の中心であることがわかります。
河崎 ダニエル 宣教師
1. 旧約聖書に照らしてキリストの苦しみと栄光へ上げられることを理解する
旧約聖書の話と、それらが新約聖書のキリストの死と復活、苦しみと栄光のテーマは結び付いています。 使徒の働き2:22-36でペテロは、詩篇16篇の「敬虔な者に滅びをお見せにならない」を引用して語っています。「敬虔な者」とは、「聖なる方」の意味です。神様は聖なる方の体が朽ちるのを許すことはなさいません。続いてペテロは、イエス様が神様の御心に従順さをもって従われたため、神様は栄光を与え、天の御座を与えられました。と語っています。イエス様は苦しみ、そして栄光を受け、復活されました。これが、イスラエルの民が待ち望んでいた新しい王国でした。二人の弟子たちは、メシアが死んで、死から蘇るとは想像できませんでした。そこでイエス様は座って一緒にパンを分けたのです。
2. パンを裂くときに復活したキリストを認識すること
ルカ24:30-31ここで、イエス様がパンで行った四つの行動に注目してください。イエス様はそれを取り、祝福し、裂き、そして与えた。最後の晩餐(ルカ22:19)、五つのパンと二匹の魚(ルカ9:16-17)この二か所にも同様の行為がみられます。パンはイエス自身の体を表したもので、裂かれ、多くの人々に力を注ぐために与えられることがわかります。そして、この裂かれた体や、イエスが十字架で経験した大きな苦しみが、復活の栄光へとつながっていくことがわかります。
3.復活した主と共に日々の生活に立ち向かうこと
まず苦しみなくして栄光はありません。壊れなければ変身はありません。しかし主が私たちと共にパンを分けてくださるとき、私たちは主と共に、どんな困難も乗り越えられることに気づきます。