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礼拝メッセージ
8月30日
盗んではならない
出エジプト20:15
武安 宏樹 牧師
「盗む」とは所有権者から奪う意味ですが、「芸を盗む」など許可されれば、いくらでも盗めるのであって、要は所有者が所有権をどう扱うか次第です。けれども什一献金規定の箇所を見ると「神のものを盗む」とあります(マラ3:8)。神が各人に各々の所有物の管理を委ねているというのが、聖書の思想です。すると所有物の概念が根本から変わり、所有権が絶対から相対になります。神に与えられた恵みをお返しする献金が代表例で、喜びと誠実が問われます。全世界がこのようになれば、領土問題はじめ世の多くの紛争が解決します。秩序維持にも有益ですが、まず隣人を愛することがその目的です(マタ22:39)。世の中は持てる者が持たざる者から奪い、自分の権利を主張して争います。国際関係・労使関係・家族関係・・・人を大事にしない社会構造は目先の利益とパイの奪い合いと化し、長期的には社会全体が打算的になり弱っていきます。私たちはひたすら神の所有権を念頭に、隣人愛を祈って考えることに努める。隣人と誠実に向き合う彼方には、隣人を創造された主と向き合うからです。私たちは金や物のみならず、知恵・労力・時間・祈りなどを捧げたでしょうか。武安 宏樹 牧師
「わたしが、自分にでき、またはしてもよい範囲内で、わたしの隣人の利益を促進し、わたしが人にしてもらいたいと思うことをその人に対しても行い、わたしが誠実に働いて、困窮の中にいる貧しい人々を助けることです。」(ハイデルベルク信仰問答111)
それは私たちの存在が神の所有権にあること。だから多くを求められます。神が富んでおられるので、いやいやではなく喜んで与え、そして与えられる。ゆえに第8戒は後半部の人に対する戒めですが、神への戒めと密な関係です。私たちは人から認められたくて争います。胎内のエサウ&ヤコブが好例です。意見が合わなければ論争します。こちらは神の、あちらはサタンの陣営だと、主の耳に入れば激怒されるような言葉も発し、承認欲求は恐ろしいものです。いや排除する気など毛頭無くても、無意識のうちに他の人の領分を侵害する。自分が神から与えられた領分はどこまでか意識すると、互いに成長できます。意見の合わない人と向き合い、悔い改めつつ祝福を祈る努力が器を拡げます。「人として」(ピリ2:6-9)盗みと無縁で、与えることに徹したのは主イエスのみ。キリストから発する恵みを豊かに受け、隣人に与え獲得しましょう(Ⅰコリ9:)。
8月23日
愛される理由
イザヤ43:1-7
原 敏夫 師
今日の中心聖書の箇所は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)。この言葉に確信をもつことが出来るでしょうか。神様に選ばれたイスラエルの民は神様に対して頑なになり、従おうとしませんでした。神様が選んでくださっているのに反発している私たちを高価で尊いと言われています。何故ここまで神様は効果で尊いと言われるのでしょう。原 敏夫 師
第一に神様が人間を創造したからです。今日の箇所の1節と7節には創造ということばがあります。私たち人間は神様の情報によって創られました。情報とは愛そのものだと言えます。私たちの体の細部はそれぞれの専門家でなければこれほど完璧に創ることは不可能です。それが出来るのは神様以外にはいません。だからこそ私たちは神様にとって高価で尊い存在なのです。
高価で尊い理由の2番目にイエス様が私のために死なれるほどに、私たちは高価で尊いから。神様に従わないから裁かれるのではと思っていませんか?イエス様は十字架によって身代わりに死んでくださったゆえに、私たちに罰を与える理由がなくなりました。物の価値は払う人の価値で決まります。イエス様の命以上に私たちは価値があると認められました。
そして最後に神様は私の名を呼び、いつも共にいてくださいます。私たちは胎の中にいる時から人生のシナリオは出来ています。ひとりひとりに思いが込められています。だから私たちを名前で呼んでくださいます。1節の最後に「あなたは私のもの」と書かれています。神様は私たちを独占しています。誰にも渡しません。全責任を負い、必ずあなたを幸せにしますという約束が含まれています。2節には「あなたと共にいる」とあります。クリスチャンになっても災いは襲ってきます。しかし、その中にあっても神様は共にいて下さると言っています。これこそが私たちのことを恋い慕っていることではないでしょうか。そして私たちが忘れてはいけないのは聖霊の働きです。(ゼパニヤ3・17)私たち教会はイエスキリストの花嫁です。イエスキリストと婚約関係にあります。その印が聖霊です。私たちは天国に行った時にイエスキリストと結婚します。私たちは神様によって選ばれている高価で尊い存在なのです。
8月16日
姦淫してはならない
出エジプト20:14
武安 宏樹 牧師
創造主はアダムにまだ共に交わることのできる助け手が居ないのを見て、「人が、ひとりでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」(創2:18)と言われました。同性でも親友はいますが、男のあばら骨から造られた女は、それ以上のものです。男性が助け手である女性と共同で建て上げることで、男性はリーダーシップの、女性は目につかない部分を助ける喜びが与えられ、「私の骨からの骨、肉からの肉」(創2:23)と互いにピッタリの存在となります。創造主を知って交わることなしには、結婚生活の究極的な理解に至りません。武安 宏樹 牧師
だから結婚は神が与えられた制度ゆえ、そこからの逸脱は不幸への罠です。不倫も婚前交渉も良いことは一つもありません。祝福を失うだけのことです。罪悪感と嫌悪感に苛まれます。夫婦が疎遠になり、親子関係に悪影響を与え、家族にすきま風が吹きます。誘惑に陥るのは簡単ですが、自分を傷つけます。性の濫用は離婚と病気の増大、出生の減少、家庭崩壊は国力低下となります。夫婦不和は親子不和に直結し、子どもの発達心理に影響を及ぼしかねません。逆に主にある健全な家庭や男女交際の模範は、世への強力な証しとなります。
「わたしたちの体と魂とは聖霊の宮です。ですから、この方はわたしたちがそれら二つを、清く聖なるものとして保つことを望んでおられます。それゆえ、あらゆるみだらな行い・態度・言葉・思い・欲望、またおよそ人をそれらに誘うおそれのある事柄を禁じておられるのです。」(ハイデルベルク信仰問答109)
結婚生活を聖く保ち、性の濫用を避けるのは、肉体が神から与えられた、「聖霊の宮」(Ⅰコリ6:19)だからです。過去に罪を犯した人には赦しがあります(Ⅰヨハ1:9)。夫婦の関係を大事にしましょう。それは誘惑から身を守ります。 最高の知恵と富と名声をものにしたソロモンは、主が禁じたにもかかわらず、御言葉を軽んじ外国の女計1000人を召し入れ、イスラエル分裂を招きました。人の愚かさは富や栄誉が永続すると勘違いすることで、金や異性の誘惑は、恐ろしいものです。私たちは主から与えられたものとして、神を恐れること。だから主イエスは十戒より厳しい「情欲を抱いて見る者は~」(マタ5:27-30)と。信仰も結婚も契約の奥義(エペ5:)。その関係の深い結びつきを覚えましょう。
そして最後に神様は私の名を呼び、いつも共にいてくださいます。私たちは胎の中にいる時から人生のシナリオは出来ています。ひとりひとりに思いが込められています。だから私たちを名前で呼んでくださいます。1節の最後に「あなたは私のもの」と書かれています。神様は私たちを独占しています。誰にも渡しません。全責任を負い、必ずあなたを幸せにしますという約束が含まれています。2節には「あなたと共にいる」とあります。クリスチャンになっても災いは襲ってきます。しかし、その中にあっても神様は共にいて下さると言っています。これこそが私たちのことを恋い慕っていることではないでしょうか。そして私たちが忘れてはいけないのは聖霊の働きです。(ゼパニヤ3・17)私たち教会はイエスキリストの花嫁です。イエスキリストと婚約関係にあります。その印が聖霊です。私たちは天国に行った時にイエスキリストと結婚します。私たちは神様によって選ばれている高価で尊い存在なのです。
8月9日
殺してはならない
出エジプト20:13
武安 宏樹 牧師
第6戒は幼子でもわかることです。平常時の国家なら殺人は罰せられます。戦争は世の不条理の最たるものであり、勝っても負けても禍根を残します。殺人は法に問われるか以前に、個人的にも社会的にも害をもたらすものです。創造主の「殺してはならない」戒めは、全ての人や状況に対し厳粛な命令です。何故人を殺してはいけないのか。それは人が神のかたちに造られたからです(創9:6)。神が憎むのは行為以前に、神のかたちを傷つけようとする罪です。いかにして隣人および自分の内にある、神のかたちの素晴しさを祝福するか。殺さない、傷つけないだけでなく、愛すること、健康と成長を促すことです。武安 宏樹 牧師
「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように」(ヨハ13:34)主イエスが「新しい戒め」と言われ、タテとヨコの関係が交差する「第11戒」で、この至高の愛は人間の知恵では届き得ない、教会にしか見られない愛です。「御霊の実は愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制」(ガラ5:22-23) まず自分にキリストの愛を適用し、神のかたちを妨げる傷を悔い改めること。そのうえで隣人に対し無条件に愛すること、違いを超えて存在を喜ぶこと。罪と世と悪魔の支配を打ち破る愛が、私たちキリスト者に与えられています。他者の人格を貶める時代に、教会を通し世に霊的影響の拠点とされましょう。
「わたしが、思いにより、言葉や態度により、ましてや行為によって、わたしの隣人を、自分自らまたは他人を通して、そしったり、憎んだり、侮辱したり、殺してはならないこと。かえってあらゆる復讐心を捨て去ること。さらに、自分自身を傷つけたり、自ら危険を冒すべきではない、ということです。そういうわけで、権威者もまた、殺人を防ぐために剣を帯びているのです。」(ハイデルベルク信仰問答105)
「それは、だれのであれ不正に命を奪うようになるすべての思いと企てを制御し、すべての感情を抑え、すべての機会・誘惑・習慣を避けることにより、暴力に対する正当防衛・神の御手を忍耐して辛抱すること・精神の平静・心の喜びにより、食物・飲物・医薬・睡眠・労働・娯楽を適度に用いることにより、慈悲深い思い・愛・同情・柔和・温順・親切により、穏和な礼節ある言葉づかいや行為・忍耐・進んで人と和らぐこと・傷害を忍んで耐えまた許すこと・悪に報いるのに善をもってすることにより、また悩む者を慰め助け・罪のない者を保護し防御することによるのである。」(ウェストミンスター小問答135)