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3月17日

とどまる愛

Iヨハネ4:13-16

武安 宏樹 牧師

「とどまる」「~のうちに」は福音書&手紙共に、ヨハネお気に入りの鍵語で、ぶどうの木に喩えられた(ヨハ15:)、主イエスと信者の有機的関係を証します。「キリスト教の真理の骨子が直接述べられており、これは福音の精髄である。」(14節ティンデル注解)父なる神&御子&聖霊に囲まれ、私たちが福音宣教を行う、基本教理も示されながら、聖書全体を貫く「神は愛です」で総括しています。以上の隙間を埋めるように、「とどまる」神秘的交流が理屈と体験を繋ぎます。復活の主は帰天前「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」(マコ16:15)自分の世界に安住せず、神の示された地に一歩踏み出せと、命じました。アブラハムも「どこに行くのかを知らずに出て行き」(ヘブ11:8)旧約の信仰者も新約の使徒たちも、出て行って敵と戦い魂を獲得し善を行い、陣地を拡げました。教会も同じです。「本教団の存立の目的は~聖霊の力によりキリストの宣教命令に応えて、神の栄光を現す~この目的のために、本教団は、犠牲を惜しまず、積極的な開拓伝道と堅実な教会形成による国内宣教および~国外宣教を推進して、地の果てまで福音を宣べ伝える」(教団教憲前文)

ところが闇雲にどこでも出て行けばよいかといえば、そうではありません。しかしモーセの遣わす斥侯隊は、行くべきなのに行かず止められたのに行き、荒野の40年のさばきを受けます。主イエスも弟子たちに「待ちなさい」(使1:4)と命じましたが、十字架で砕かれた弟子たちは失敗せず御言葉を守りました。復活の主の遺言は「出て行け」と「待て」=「ゴー」と「ストップ」の両輪でした。出て行くために、とどまる。単にとどまるだけでなく、出て行く力を頂く。13節はヨハネ自身が神のうちに自分、自分のうちに神、二重の愛の交わりを、体験したこと、以上を受けて14節で「私たちは、見て、その証しをしています」偽信者を意識しつつ、とどまる御霊から愛に押し出されることを強調します。自分の罪深さや醜さに目を背けるのでなく、聖霊に探らされて「神は愛です」力強く宣言しましょう。私たちは罪意識や焦りや敵対心や誘惑に煽られて、いたずらに出て行ってはいないでしょうか。惑わしの霊はタイミングを外し、急かしますが、雲の柱&火の柱で導く主の前に、私たちが恐れたり身を隠す暗闇はありません。神の愛にとどまり続けて、出て行く力を充電しましょう。

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