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2月18日

行いと真実をもって愛し合う

Iヨハネ3:4-10

武安 宏樹 牧師

10節末尾~4章で、偽り者が決定的に欠如している「愛」について語ります。互いに愛し合うことは救いの条件ではないので、地獄に落とされはしません。されど聖霊の働きに逆らって頑なに憎むならば、地獄の如き煩悶を喫します。よって愛せぬ人がいるならば、罪を認め御前にへりくだり赦しを得ましょう。自らの愛の無さを認めて、聖霊の働きによって愛し合う群れが主の教会です。「初めから聞いている」(11節)とは、新約聖書では主イエスの戒め(ヨハ13:34)、旧約聖書では人類最初の出産が殺人者となる、カインの近親憎悪から(創4:)、素直に非を認めず食い下がる意欲も無く、傷ついたプライドで邪魔者を消す、まさに「兄弟を憎む者はみな、人殺し」(15節)私たちもみなカインの末裔です。

「すなわち自分と他人の命を保持するため出来る限り注意深く研究し、合法的に努力すること~慈悲深い思い、愛、同情、柔和、親切により、穏和な礼節ある言葉遣いや行為、忍耐、進んで人と和らぐこと、傷害を忍び耐えまた許すこと、罪の無い者を保護し防御すること」(ウェストミンスター大教理135) 「悪をなす者だけがこの戒めの違反者ではない。隣人に善をなすことができ、危難災害の起こらないよう未然に防ぎ、保護し、救助できながらそれをしない人も同罪である。隣人への愛を拒み、助けられたはずの善行を奪ったからである。」(ルター大教理)

17節で愛の不作為についても断罪します。改めて私たちは愛し合うことに、誇れるものがありません。牧師は信徒以上に嫉妬&功名心&不作為の誘惑に、悪魔から絶えず攻撃を受け、「世」からの愛を亡きものにする圧力は苛烈です。13節で原文は「世」の直後「私たちは~」で、キリストの贖いで愛を知るに至る、「捨てて」は一回限り完結の過去時制で、罪人の捨てきれない自己愛と対照的、「分かった」は完了時制で過去に知り現在まで、主が愛を教え続ける恵みです。ただ十字架を見上げるならば、聖霊がきよめと奇跡をもって愛し合えるよう、キリストの内に在る私たちは導かれ、かくて「兄弟」(複)にいのちを「捨てる」(現在時制で継続の意)者と成ります。傷つけられた人を未だに悪く思ったり、苦手な人の陰口や、体裁良い返答で他の愛する選択肢を捨ててはいませんか。愛せないと悟るなら、主にあって愛を受け成長しきよめられ甲斐があります。

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