トップ > メッセージ

メッセージ

MESSAGE

2月25日

御霊による平安

Iヨハネ3:19-24

武安 宏樹 牧師

「行いと真実をもって愛しましょう」(18節)を受け、「私たちは~神の御前に心安らかでいられます」(19節)互いに愛し合う真理が神との関係を深めます。世の言葉に良心の呵責があります。席を譲らなかったり物を盗もうとしたり、愛は無い訳では無くても配慮の欠けた言動、疲れると感情的に怒ってしまう。すべきことをしなかったり、逆にすべきでないことをしてしまったりします。苦々しい思いを抱えることは良いことではなく、謝罪と許しが必要ですが、それで万事うまくいくとは限らないのが難しいところで、言葉は内面から、出てこないと信用されません。神を知ることでも人を知ることでも共通して、相手を知ろうと努めることから関係が深まります。好きだから優しいからで、男女関係が立ち行かないのと同様に、痛いことを言われ愛に難儀しながらも、それでも捧げるのが人との関係であり、神との関係です。真実に捧げるなら、自分が出来ることの限界が分かります。あわせて相手の限界も分かります。行いにも言葉にも基本的に表すべきですが、控えた方が良い時もあります。以上の分別をキリスト者は、祈りと御言葉のコミュニケーションで弁えます。

「神は私たちの心よりも大きな方であり、すべてをご存じだからです」(20節)こそ「心安らか」の基盤です。自分の罪深さに救われていないかと不安になり、人を傷つけ心穏やかでない時も。落度なくても人の冷たい態度が刺さります。そういう時に人の業で詰めすぎるのも駄目ですが、逆に人の知恵で身を引くのも良くありません。責められている心を、いやし慰めるのは神のみです。全知全能の方の前だからこそ謙虚でありながら、深い人間観を持てるのです。「御霊の実は、愛、喜び、平安」(ガラ5:22)左記は聖化によるので時間かかれど、着実に御霊は実を結ばせます。神はどのように大きな御方かを想像しながら、自分の限界だけでなく能力と賜物も見出し、目の前の問題への傷ついた感情、恐れに止まらずに別の視点に目を開かれ、心空しく期待して祈り始めること。22節は「求めよ、さらば与へられん。尋ねよ、さらば見出さん」(マタ7:7)からで、加えてヨハネは祈りの接点と方向性を、御言葉が照準を定めると語ります。愛し合う祈りで人が変わり、自分が変わります。知恵と悟りの内なる御霊が、精神と肉体を貫き、難しい人と和合させ、私を通して愛の栄光を現されます。

過去のメッセージ