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4月20日

ご計画による召し

創世記28:10-19

布施 信子 師

[布施恒夫前牧師召天に際し信子師御礼から抜粋]

どんなにか、お世話になり祈っていただいたことか、感謝しております。昨年10月に入り38度以上の熱が続き、緊急入院した時は、腎不全・心不全で、車椅子の世話になりアドナイ館(聖隷事業団サービス付き高齢者向け住宅)は帰れず、ベテルホーム(同介護老人保健施設)に入所へと道が開かれました。透析はせずに温かく介護されて最期を迎えました。大きな手術を繰り返す中、決して弱音を吐かず、ジッとお受けして頑張っておりました。最後ベテルで会っても質問するのは(認知症も始まっていましたが)「何故ここにいるのか、何時までいるのか?」訊かれて、人間の生きる意味の様で重かったことです。納得いかなかったのか、あとはジッと受けてこちらの言うことに首を振るか、頷く位に弱っておりました。私はクリスチャンの死がこんなにみじめなのは、どういう意味があるのか悩みました。素っ裸にされ、今まで生きてきた存在価値も信仰すら無くなっている様に見える、みじめさを突きつけられました。「ベテル」なる名の施設から何故、創設者の長谷川保氏(同結核病棟創設者)が、命名したのか聖書を調べました。創世記でヤコブが長子の特権を兄から奪い、父を欺き家に居れなくなり一人旅立つ。自分の過ぎ越し方を振り返り、もう神を求めることは出来ないと石を枕に涙し寝た時、天から梯子が降りてきて、御使いが上り下りするのを見る。傍らに神が立っておられ、これは神の家、天の門だと声をかけられる。ヤコブは枕にしていた石を立て「ここは天の門」だと叫び、神がずっと共に居られ、神を見上げる時を待っておられたと石を「ベテル」命名しました。自分に絶望し神の祝福を求める資格無しと気づく時、上からの救いが備えられ天に引き上げられる。これがクリスチャンの死だと、分かった時、神様のご愛は完全で、受け入れられる救いの恵みを覚えます。召天前夜訪問の武安師が大声で御言葉を読み、もはや意識が無いと思いきや、「アーメン!」と大声で主人が応答。もう天に行けるとの確信が来て就寝し、翌4時半電話に10分で駆けつけるも、静かな穏やかな顔で召されていました。私は挫けそうになる時、主に守られて、私は大丈夫と言い聞かせています。63年共に歩めた幸せをかみしめながら感謝しています。遠方からたくさんの兄姉に参列頂きありがたくびっくりしました。慰めの色紙何度読み返したか、主人の写真の下に飾っております。神様の完全なご愛を信じ祝福を祈ります。

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