メッセージ
MESSAGE
話し合う恵み
震源15:22
武安 宏樹 牧師
社会人の基本に報告&連絡&相談、略して「報連相(ほうれんそう)」とりわけ重大なことが起こった時は速やかに必要です。教会も人の集まりゆえ主の知恵を求めつつ、手段として世の知恵を賢く用います。LINEやスケジュール管理ソフト普及で、かつての電話連絡と比べて便利になりました。小教会だと不要でしょうが、当教会の規模だと役員会や総会や各委員会や会計に、報告書で周知します。どうせ分かるだろうと高を括ったり報告を怠ると、悪い空気感が出てきます。コミュニケーションの得手不得手あれど、私たちは語ることが伝わるために、努めることです。とはいえ「報連相」を徹底しれば万事うまくいくとは限らず、意思の疎通は手段に過ぎず、どんなに「報連相」しても分からないこともある。「よく相談しなければ、計画は倒れる。」以前の新改訳は「密議」となっており、原意は「秘められた親しい交わり」(ヨブ29:4)。私たちは人と相談だけでなく、神と相談しなければなりません。何人かに相談して物事を決めるのでなく、祈って御言葉を求めることから、自分の考えが悔い改めや修正させられて、そしてこれと思う人々に相談する。祈りだけ事務的だけではよくないのです。
「自分の悟りに頼るな。自分を知恵のある者と考えるな。」(3:5,7)基本です。「御言葉から示されてこうしました」「先生から言われてそうしました」など、いずれも正しい行動に見えますが、最善は神と人の両方に相談することです。どちらかに偏る人が多くいますが、バランスのよい相談を積み重ねることで、信仰者は着実に成長します。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」(Ⅰヨハ4:18)神への恐れと人への恐れは深いところでつながります。生い立ちのどこかで愛の不信があります。そのような苦しみはありませんか。報告と連絡はしても、人を信頼して相談することに欠けは覚えていませんか。主に呼び集められた私たちは、愛の欠けを覚えるからこそ教会に集うのです。人と相談し相談され、主と相談し相談される両面が、同時並行でなされたら、教会の営みはもっと有機的になります。教会では祈りと相談ができていても、家で専制君主的で一方通行の会話しかないならば、機能不全に陥っています。「多くの助言者」は要所に立てられた信仰的な人に、知恵を求めることですが、意見の合わない人に相談すると、個人的に教会的に器が拡がり「成功」します。