メッセージ
MESSAGE
恵みの御座に近づこう
へブル4:14-16
武安 宏樹 牧師
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません」(15節)私たちの中で弱さを感じない人がいるでしょうか。病気の弱さがあります。かつて健康で元気だった人が弱るのを見るのは辛いことで、長い闘病生活も大変ですが、逆にあまりに急な召され方は整理がつかず悔いが残るものです。心の病はもっと深刻です。自分は誰からも理解されていないのではないか、家族や仲間に迷惑をかけているのではないか、自分の生きる意味は何なのか。思考の牢獄に閉じ込められて、食欲も睡眠も取れずに窮地に追い込まれます。そんな時こそ教会に行くべきと知りつつ、どうしても起きれず足が向かない。けれども以上のような弱さを持ち合わせず、心身とも社会生活に支障もない、そういう人々の方が世には多いかもしれませんが、弱さを抱えている以前に、弱さを自覚して、聖なる神と汚れた自分の格差に「我こそ罪人の頭なり!」と、身も心も財産も献げて謙遜に主に仕えようとする人もいます。富める青年は、完全な生き方を志すも、主イエスの返答は「貧しき者に施せ」につまずきます。彼のその後は不明ですが、主は彼に強さよりも弱さを求めておられました。
皆さんの心の井戸はどれほど深いでしょう。聖霊は最深部に臨在されます。心の果てしない深さの闇は、「もろもろの天を通られた、神の子イエス」(14節)と結びつきます。弱さの扉を開けるのは恐ろしく知られたくない過去があり、ライバルへの嫉妬が仲間の前で陰口と化し、施し様のない自己愛があります。そのような愚かさを恥じて涙を持って悔いる祈りを、幾度繰り返したことか。しかしそこに主は居られます。腐敗臭を放つ所こそ主が向かう十字架でした。情けないみっともない祈りの中に、主の愛といやしを極限まで受けるならば、主は以前よりもっと深い所に来てくださり、赦しと解放といやしで包みます。「我々の場合は罪が総攻撃をかける前に崩れてしまう。しかしイエスはああらゆる種類の試練を受けながらもなお、しっかりと立っておられた」(バークレー)傷だらけの主が優しい笑みで深みに立っておられる。私たちは天だけ見ると、弱さを忘れて足元をすくわれます。大祭司イエスは「同情」くださる方です。「近づこうではありませんか」(16節)大胆に近づくのを躊躇していませんか。弱さをごまかして大きく見せていませんか。主は弱さを持つ人が大好きです。