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4月21日

信者の証印

Iヨハネ5:9-12

武安 宏樹 牧師

① 私たちの証し
「証し~日本のキリスト者」(最相葉月氏著/角川書店)が話題となりました。私たちには身近な語ですが、世の人々にはキリスト者の証しは異次元です。近年はキリスト教メディアが紙媒体や放送だけでなく、YouTubeや各種SNS等、誰でも発信できる時代になりましたが、顔と顔を合わせて、神&罪&救いの福音をはっきりと伝えながら、キリストがどのように私の人生を変えたかを、直接的に語ること以上に効果的なものはありません。世の人々は200人中で1人しかいないキリスト者に何故あなたがなったのか?何が週ごと日曜日に教会に足を運ぶ礼拝させるのか?他宗教が売りにする御利益や栄達出世等、際立った要件や、家族が三代四代クリスチャン家庭だからとの慣習でもなく、何があなたを信仰に駆り立てるのか?駆り立てる見えない糸とは何なのか?私たちは敬虔なキリスト者という名の不思議な人種です。救いの経験だけで、10年20年と信仰するには御利益や義理だけでは難しく、やはり何かあります。聖書の動詞の時制で現在形&完了形が多いのは、そのことを暗示しています。

② 神の証し
私たちは救われました。この時制は過去の御業に基づき重ね合わせるので不定過去時制ですが、私たちは十字架と入信時を単に思い起こすだけでなく、今を生きているので礼拝に集います。とはいえ霊的に常に好調な訳ではなく、過ぐる週も罪を犯してした、夫婦や親子で喧嘩した、友人を傷つけたなどの、あるいは信仰者として存立に関わる危機に瀕している主日も、時にあります。けれども吸い寄せられるように教会に来て、メッセージが断片的に響いたり、賛美の歌詞にハッとさせられ、礼拝後の兄姉との何気ない会話に教えられる。教会内にペンテコステの御霊が働かれるので、よく考えれば当然なのですが、証しは第一に私たちの信仰や霊性でなく、神の与え給う歴史的事実ゆえです。「永遠のいのちとは神ご自身のいのちに他ならない。私たちに約束されていることは、現在ここにおいて神のいのちそのものに参与できること」(バークレー)証しの主は私たちではなく神。有限なる人間が無限の神を100%証しはできず、最終的な救いとしてキリストを送られたことが、究極の証しです(ピリ3:8-9)。

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