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5月5日

私たちの確信

Iヨハネ5:13-15

武安 宏樹 牧師

「福音書と手紙の目的を一緒にするならば、ヨハネの目的は4段階になろう。つまり、読者が聞くように、聞いて信じるように、信じて生きるように、そして生きて知るように」(ティンデル注解)が「分からせるため」(13節)本書の目的です。というのは信徒たちが永遠のいのちの確信について、揺さぶられていたので、以上を体験するには祈りの生活で、キリスト者と反キリスト者の分かれ目は、どのように祈るか。長さや量でなく、祈る対象と的を得た祈りをしているか。祈りは霊的交流なので、主の御名を唱えながらも自分本位の祈りをするなら、悪霊を呼び込んで自分で自分の首を絞め、非常に危険なことにもなりかねず、実際に反キリストは表面的に熱心に祈れど、隣人愛を自己愛に巧妙に替えて、聖霊に敵対していました。私たちは的を得た祈りとなっているでしょうか?若い信者は何でも祈ってスッキリしたり、神の反応を探るのも良いでしょう。けれども祈る対象がどんな方か、運ぶ霊の働きに敏感になることが必要です。

一つ目に、私たちは世界を創造&統治され、同様に私たち自身も造られて、「探り、知っておられる」(詩139:)善き御手で治められる聖い神に向き合っていること。大声で身の上話を述べる前に、主なる神は自分も無意識のうちに、心の奥の動機や不信仰やコンプレックスや敵対心等、全て知っておられます。その確信に立てば、対角線に立って挑戦するような祈りは必要無いと分かり、御心を探りつつ立ち位置を合わせ、御手に包まれて祈れば悪霊は退散します。 二つ目に、キリストの御名によって肉なる自分の死と、悪しき陣営の力が打ち破られていることを確信して祈ること。信じていないと山が動きません。「あなたがたがわたしに&わたしがあなたがたに」(ヨハ15:7)神秘的つながりで肉体と霊が一体に。主イエスは破れ口で神と人の合一を祈りました(ヨハ17:)。この赦しと和解の確信に立つことで、初めて隣人をとりなす者となります。三つ目に、聖霊が水と血を循環させて(6-8節)、隣人を愛せるように変えられる確信です。私たちは三位一体の御名で洗礼式と聖餐式に与る共同体で、反キリストが欠落しているのが、愛すべき隣人のため愛して仕える祈りです。常識で考えれば愛せないけれども、聖霊の働きで愛せるように備えられます。愛せない弱さを御前に告白するなら、聖霊が視野を拡げ暗闇に光を与えます。

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