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6月5日

あなたがたは枝

ヨハネ15:4-6
武安 宏樹 牧師

前回は木の視点、本日は枝の視点から、ぶどうの木を見ていきましょう。「あなたがたは枝です」本教会と役員会&総会&規則が一体化された「枝教会」を想像しますが、近年は主従関係というより有機的に運営されている教会も、多く見られますが、有形無形で拘束力&影響力を及ぼす教職者もおられます。それが強すぎると、主体的に考え祈り求める能力が育たず自立出来なくなる。もっともこのことは教会や信者に限らず、親子&夫婦&師弟関係等といった、良くも悪くも人間関係全般に言えます。枝とは付属品や複製品(コピー)でしょうか?DNAは無視できないものであり、コンプレックスとして否定するのでなく、むしろ感謝出来たら素晴しいですが、そのためには「主にある自分」の確立が、どうしても必要です。「真理はあなたがたを自由に」(8:32)主は言われました。対するユダヤ人は我らアブラハムの子孫なりと、「自由」に過剰反応しました。真の自由を得ていない人ほど、優位に立とうと血筋や学歴にしがみつきます。いくら主の民律法の民と誇れども、行いが伴わないと周囲の反応は冷淡です。彼らは不信仰と甘えゆえ、悔い改めが影響を与えると思いもしませんでした。

「あなたがたは枝」と信じたてのユダヤ人に言えば、主は袋叩きに遭います。弟子たちだから語り得た御言葉、枝という自己認識に有機的で恵みに溢れた、いのちの関係性を認め得る信仰が芽生えていたから、そのように語りました。御言葉を疑問も反論も無く全て受け入れているかといえば、そうではなくて、ぶつかりながら交わりが1往復も2往復も増し加わり、かえって深められる。彼らは切られて当然の大罪を犯すも、枝は折られることはありませんでした。悔い改める信者には誰でも実が結ばれる。十字架の罪と赦しの恵みは甚大で、この時に未だ居合わせなかったパウロも、聖霊体験から同じ恵みを得ました。彼はイエスとの邂逅の素晴しさゆえに、血筋も学歴も肩書も全て捨てました。彼が本気で「枝」に徹しようとしたことは、キリストの肢体(からだ)論にある通りです。枝相互の働きと特殊性までも、単に従属物や奴隷でなく愛と主の似姿へ昇華、されど真の解放を体験するがゆえ、逆説的にキリストに拘束されたいのです。放蕩息子は「枝」が不幸の元凶と家出。サタンは「枝」は愚の骨頂と惑わします。罪は人を縛ります。主につながり初めて神に栄光を帰し隣人を愛せるのです。

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