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6月19日

互いに愛し合いなさい②

ヨハネ15:12-17
武安 宏樹 牧師

同じ題で2月に取り次いだこともあり(13:34)、②と追加した次第ですが、前回は主が下僕の姿をとられた洗足式~ユダの裏切りという緊張感の中で、弟子である証左として、「互いに愛し合いなさい」と命じた経緯がありました。今回は単なる繰り返しに非ず、掌返したように「我が友なり~僕(しもべ)といはず」、関係がタテ線の師弟⇒ヨコ並びの友人へ。ヨハネの巧みなストーリー展開と、①②間の流れも、弟子たちが順に「主よ、何處(いずこ)に」(13:36)と食ってかかりつつ、彼らなりの愛情表現&献身表明を主が受け止め、聖霊降臨を約束される中で、ぶどうの木なる有機的な共同体から、木&枝の同じ立場で教会を建て上げる、未来像を彼らに提示しながら、「死んで実を結ぶ友」として絆が深められます。この間の独白によって胸のつかえが下りたか、11節で主は喜びを隠しません。「人その友のために己(おのれ)の生命を棄(す)つる、之(これ)より大(おおい)なる愛はなし。」(13節文語)主はその愛を十字架上で実践してくださいました。「主⇒信者/信者⇒主」と、一方通行で終わらずに、信仰によって互いに友情関係が深められていきます。互いに愛し合う中で聖霊が働かれ友が増し加わる。福音とは「友ネット」です。

「必要な時にそばにいる友達こそ、本当の友達」との有名な諺がありますが、なかなかそういう友に巡り合うのは難しいもので、胸の内を開いて話しても、分かってくれなかったり、笑われたり、正論返されたり、違和感を覚えます。誰もが神に造られた人ゆえ敬意を払うべきですが、100%価値観の合う人も、人間の中にはいません。私たちの唯一無二の親友は主イエス以外に居ません。この方だけは私たちの弱さ罪深さを受け止め、死に至るまで付き合われます。人が人に関わることには限界があり、互いに愛し合うことも本来不可能です。けれども私たちの親友が主イエスならば、交わりの中心に臨在されることで、愛せない人を愛し理解できない人を受け入れ、いやされない人をいやそうと、とりなしてくださる。それが友なるイエス、キリストに在る教会の本質です。「二三人わが名によりて集(あつま)る所には、我もその中(うち)に在るなり」(マタ18:20)ゆえ、教会の中心に主は居られ、愛と救いの奇蹟を私たちを通して完成されます。「助言者(=相談相手)」(詩119:24)主イエスを通せば、全ての人が親友と化す。然るべき方法と塩梅で愛し合えるのは、未信者には得られない特権なのです。)

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