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6月12日

愛にとどまる

ヨハネ15:7-11
武安 宏樹 牧師

「わたしの愛にとどまりなさい。」(9節)を中心聖句として見ていきます。今日の世界を見渡すと、ウクライナの戦争や我が国の東日本大震災に際して、人々は深い喪失感とトラウマに苛まれてきました。傷ついた社会においては、いや戦争や災害といった特殊な状況以前に、表向きは平和な社会や家庭でも、生きる価値や居場所を見出せない人が増え、さらにコロナが追い討ちをかけ、潜在的に真の宗教が求められていますが、スピリチュアルに関心は高まれど、個人的に社会的にも宗教団体が、受け皿になりきれていない現状があります。人と人、人と社会、人と国家。複雑に絡み合った人間疎外に語り得るのは、神のことばを我々が取り次ぐことで、その重心が「わが愛に居れ」(文語)です。本章は「刈り込み」で分かるように、信者へと向けられたメッセージですが、キリストの愛にとどまる平安や力強さから、未信者に向けた証しとなるのと、「すべてのことを守るように教えなさい」(マタ28:20)弟子化命令から言えば、自己愛や防衛本能からでなく、神の愛の中で生きることこそ弟子訓練です。

一つ目に「わたしの」すなわちキリストの愛、救いの愛にとどまることです。罪の泥沼から救い出す愛、創造の初めから救われることを選ばれた愛であり、選ばれた者が罪を犯しても漏れることなく、相応にきよめてくださる愛です。どれほど愛と能力を注いでおられるか、祈り聖書究めど捉えつくせぬ愛です。だから確固たる関係から愛に飢え渇き、自由自在に主を求めるのが弟子です。
二つ目に「愛の中に」在ることです。組織の中で立ち位置が与えられないと、試合に出られるよう周囲と競争してアピールする。社会は世知辛いものです。けれども主に救われた者の群れは全員が選手で、怪我や病気や罪を犯しても、戦力構想から外れません。かりに自分の価値が見出せず人に評価されずとも、神の愛の中に在ること臨在されることだけに、意義を見出すことが訓練です。
三つ目に「とどまる」「つながる」「住む」。じっとではなく、生活することです。主の切られることのない枝として、農夫なる父のケアで花を咲かすことです。天の住まいに入れられる前に、地上では仮住まいでも喜んで生きることです。「生も死も、不快も悲惨も、キリストの内に自らを誇ることを許された人たちには少しも妨げにならず、大胆に一切の悲しみを侮ることができる」(カルヴァン)

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